霜月もそろそろ暮れようとしています。
茶の湯の世界では、炉の季節が続きますね。
先週、訪れた京都では席中に切られた炉を囲んでの
味わい深い一服をいただきながら、秋を満喫できました。
炭火のほわっとした火色は、日常の疲れを丸ごと引き受けてくれる温かさ。
そして、器の拝見も茶の湯の愉しみのひとつ♪
ロクロを使わず、昔ながらの手捏ね茶碗が柔らかくていい・・・
好みの器に触れると、それだけで満ち足りた気分になりますね。
さて、器好きがそぞろ歩きを楽しむエリアは五条坂界隈。
仁清や乾山などの名工にはもちろん魅かれますが
今秋は元伯宗旦居士の350年忌の催しがあちらこちらで・・・
京懐石をいただいた後、賑わいの五条坂界隈は避け
ふらりと、代々の樂焼の逸品が並ぶ樂美術館を久しぶりに訪ねてみました。
御所に近い住宅街のただ中にある樂焼窯元(樂家)に隣接し、付随の茶室もあります。
ここでも「元伯宗旦と樂茶碗」の特別展が催されていました。
主な展示は、樂家に伝わる歴代の手本として残された茶碗の数々・・・
そして、宗旦書付のある名碗といわれるもの。
興味深かったのは、
宗旦好みを窺い知ることのできる宗旦直筆の掛物。
利休の孫にあたる宗旦は、伝世の黒樂と赤楽の優品に
「長次郎焼」と記し、ときに好みの銘を書き添えています。
それにしても・・・
長次郎の黒樂茶碗はやはり圧倒的な存在感。
両手で包みこむように立ち上げられ
焼き締めていないやさしさ・・・
多くを語らず、造形的な誇張を感じさせない茶碗なのですね。
当意即妙な手捏ねの工程を経て余分なものが何もない、それは削り落しの美。
(・・・という言葉が適切かどうかわかりませんが)
小振りですのに、こころに「ずしん」とくるのです。
自分の気持ちの置き場所があるものとの出会いはいい。
目に映るもの、言葉で追えるもの・・・
そういうものの向こう側に潜んでいる何かを感じ取るプロセスも愉しいですし。
ところで・・・
名品とはなにをもって名品とされるのでしょうね。
茶碗は使ってこそ、真価を発揮するもの・・・
ならば、使いやすい茶碗こそが私にとっての名品かもしれません。
履歴やら、理屈は後から付いてこればいい。
付いてこなくとも良いですしね・・・
そういう意味で、例えば長次郎の黒樂はやはり名品だと思うのです。
多くは語らないのですが茶碗としての的を得ている。
どこかぶっきら棒な、黒とも云えぬ黒に映じる抹茶の緑の美しさ・・・
あまりにも世界に名が知れてしまっている長次郎・・・
ですが、この茶碗からはふんぞり返っていない長次郎の姿が過ります。
当時、人々は名付ける術を持たない長次郎のこの茶碗を「今焼き」と呼んだそう。
伝承によれば秀吉から賜った「樂」という字を印としたという・・・
ところがこれは、長次郎没後の継承者から使用された字印のようです。
なので長次郎の茶碗には「樂」の捺印がみあたりません。
無名の陶工の、署名も印もない長次郎の茶碗。
名もないことの素晴らしさ・・・
何より樂家の初代、長次郎の生年が不詳という点には至極惹かれるのです。
もっとも長次郎の「大黒」には、当然ですが及びもつかない。
だからという訳ではありませんが、
器に限らず、無名のひとの作品に逸品を見つけるのは愉しいですね!
創り手の心意気がじんじん伝わってくるもの、これだってふたつとない名品。
無名に宿る命は強し・・・
底に潜むのは、フツフツと滾るようなエネルギー。
そういうふうに「強く」生きていたいものです。
そのためには、こころが「しなやか」でないといけませんね。
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